百々人のぴぃちゃんであるということ。(愛知公演初日 百々人初ソロ舞台によせて)
愛知公演お疲れ様でした!2日間現地にて参戦させていただきました、とてもとても楽しい2日間でした。
さて、今回は百々人のソロの話です。
サイスタを始めて、百々人が担当の一人に加わり、そんな彼の初ソロを見るために愛知に赴いたので、なんか感想というか……クソデカ情緒の整理というか……そんな感じです。
そもそも何故百々人が担当に加わったのか。
元々私は都築、翔真、北村を担当していました。見事なまでのメンタルPで、クラファ発表からも、メンタルとして百々人のことが気になっていました。しかし、いざリリースして彼の理由が判明すると、今までとは違う意味で、彼を大切にしたいと思うようになりました。
百々人は自分には才能がない、だから生きる資格がない、誰かに生きてていいと言ってほしい、そんな願いを持った子です。その考えに、私は覚えがありました。
私はごくごく普通の一般家庭に生まれ育ちましたが、何故か「家族とはいえ他人なのだから、両親の望む子にならなければ、家に置いてもらえないかもしれない。運動も芸術も駄目だから、せめて勉強は出来るようでいなくては」という意識がずっとありました。別にそう言われて育ってきたわけではなく、一種の強迫観念のようなものです。いい点をテストでとっても、何故満点がとれなかったのか、母に理由を聞かれていたのも原因かもしれません。幸い私はまわりに恵まれており、両親ともすごく仲が良いとはいかなくとも、
それなりの関係のまま今日に至っていますが、何故か勝手に感じていた意識は、今も何となく根本にあったままです。
だから、百々人の理由を知った時、私はその感覚を知っている、と思いました。百々人の育ってきた環境は私とは全然違いますし、彼の両親のしていることは許されてはならないことだと感じますが、両親の望む姿でありたいと願う気持ちは、とてもよく分かってしまいました。
結局今、私は運動も勉強も芸術も秀でていないまま、大人になっています。似たような気持ちを知っている彼に、何か出来ればと思い、私は百々人を「担当アイドル」と呼ぶようになりました。
さて、そんな担当のソロを初めて試聴で聞いた時、私は震えてしまいました。静かなメロディの中で響く彼の歌声は、痛々しいくらいの感情が乗っていて、剥き出しの、何の飾り気もない無色の心が、真っ直ぐにぶつかってくるのを感じて、試聴だけで心臓が痛くなってしまいました。
感情をあらわにする歌というのは、受け止める側も相当な体力を使うと私は思っています。例えばAltessimoのOpusもそうですが、物静かな曲なのに全力ダッシュをしたあとのようなしんどさを感じるのです(私の体力がないからかもしれません)。
生でライブで聞いたらどうなってしまうのだろう。楽しみと不安が半々の中、今回のライブに向かうこととなりました。
明るく疾走感のあるGo Nextが終わり、静かになった空間の中、スモークのたつステージに蹲る百々人を見た瞬間、ひゅっと喉が鳴りました。先にステージを見ていたのですが、その奥、モノクロな液晶画面に、沢山のPが照らしているペンライトが無機質に輝き、それが見えないような体勢で手を動かす百々人。
子どもの絵の描き方だと思いました。幼稚園生くらいの子が、床の上で絵を描くときの体勢。彼はきっと、その頃からずっと、画用紙の上で色を塗り広げながら、こんな世界にいたのだと思うと、自然に涙が溢れてしまいました。CDよりも余程剥き出しの、ガラスの破片みたいな歌声が耳に刺さるたび、たった17年しか生きていない百々人の心の傷を、その身体を思って、また涙が溢れました。
Hundreds Colorは、百々人の戦いの記録であり、諦めなかった勇気の在処なのだ。
私はそう感じて仕方ありませんでした。
百々人は本当に強い子です。
ずっとずっとたった一人で戦ってきて、何度も挫けそうになって、それでも叶わないものに手を伸ばす、その生き方が痛々しくて、尊くて、美しいと思います。
私は、百々人は本当に才能がない子ではないと思うのです。でも、百々人が欲しいのは、多分それではないのでしょう。彼の環境はあまりに過酷で、痛かったね苦しかったね、もういいんだよ、あなたが欲しいものはもう持ってるんだよ、と、言ってあげたくなります。でも、多分今の彼は、納得しないんではないでしょうか。
彼はまだ、花園百々人を探しているんだと、今回のソロを聞いて強く感じました。
なら、Pの私に出来ることは、一緒に探していくことなのかな、と思います。
百々人は素直で柔らかい心の持ち主です。「もういいんだよ」といえば、きっと、ぴぃちゃんが言うならそうなんだね、と受け入れてしまいます。本人が納得していなくても、「ぴぃちゃんが望む花園百々人」になるために。事実、ぴぃちゃんの考えるアイドルになることが、今の百々人の願いです。そうじゃないんだよ、と言うのは、きっと簡単に出来てしまいます。ただ、私は、百々人の「なりたい」を否定したくないな、と思ってしまいました。
どんな理由があれど、百々人の今の願いは、きっとそれなのです。花園百々人を探している百々人は、まだそれを見つけられないまま、色を与えたぴぃちゃんの願いに応えることを自らの願いとしています。
いやぁ、出来ないです。
なりたいなら、なっていいよ、と言ってしまいます。
大人として良くないことなのでしょう。でも私は、その感覚を知っています。なりたい自分像がないまま、でも誰かに好かれていたくて、誰かの望む自分であろうとする感覚。
なら、百々人が自分を見つけるまでは、「百々人の望むぴぃちゃん」でありたい。
スクリーンいっぱいに広がる色を見ながら、そう考えていました。
百々人はまだ17歳です。これから背が伸び、輪郭が鋭くなり、たくさんのものを知り、いつか、ぴぃちゃんだけじゃない世界が見えるようになる。そんな時まで、「百々人の柔らかい心の中心が欲しいと思った色を与えたぴぃちゃん」でいたい、と思いました。
(本当はその色も百々人が自分で見つけたんだよ、と言ってあげたいのですが。)
ソロ後のMCで、みやたんが「彩ってくれてありがとう」と言っていました。私からすれば、彩らせてくれて、ぴぃちゃんに見つけられてくれてありがとう、諦めずにいてくれてありがとう、という気持ちです。
315プロなら、C.FIRSTなら、彼の探す花園百々人が見つかると確信しています。
彼の花園が、彼が見つけたたくさんの色で溢れますように。
北村のSideM、始まったな……!(モバペンギンイベクソデカ感情)
アイドルマスターSideM、始まったな……。
ペンギンイベ読了後、最初の感想である。
何かもうデカい感情の行き場が無さすぎて唸りながら今この文を書いているし、動揺のあまり家族の歯ブラシを間違えて使いかけた。馬鹿野郎なんだわ。
いや、ペンギンイベ、すごい。
あまりに語りたいことがありすぎて久々にブログを書くことにしました。助けて欲しい。
※モバゲー版アイドルマスターSideM、「氷上のアクアリウム 個性豊かなペンギンたち」のネタバレしかありません。未読の方はお気をつけください。
アイドルマスターSideMが始まって7年経つが、担当を名乗る自分でも今更そういえば!と思ったことが、今回のイベントで明らかになった。
北村の「アイドル像」である。
北村は、「自分らしく生きるため」にアイドルになった。これ、実は矛盾しているのではないだろうか?
アイドルとは偶像であり、ファンからの信仰を集める崇拝対象である。他のアイドルマスター作品を見てみると、アイドルとしての自分を演じている子もいるあたり、多分、アイマスの中にそういう思想は多少あるだろう。
今イベで北村は「水族館のPR」にクリスではなく自分がメインで、ペンギンモチーフのPVに前面に出ることに終始違和感を覚えていた。つまり、北村にとって水族館のPRにはクリスがメイン選出されてしかるべきであり、ペンギンと自分が結びつく要素もなかったということだ。しかし、企画は北村にこそと思ってこの仕事を持ってきた。
北村にとって壁となるだろう、主観と客観の違いが、初めて持ち出された。
北村は自分がペンギンから連想される、可愛いイメージの人間だとは思っていない。それはそうだろう。傍2人がツインタワーなので忘れがちだが、北村は決して小さいわけでも華奢なわけでもない。声は少し可愛いかもしれないが、それをウリにしているわけではない。19歳の青年が、意識もしていない「可愛い」キャラを当て嵌められているだけだ。しかし、世間は北村をペンギンの似合うキャラクターだと思って、仕事を持ってきてるわけである。きっとあちらの時空のファンは、ペンギン姿の北村に、可愛い!と反応を示しているだろう。少なくとも私は可愛い!と叫んだ。
さて、これは果たして「自分らしい」と言えるのだろうか。自分の思う自分らしさを体現出来ていないが、他者の思う「自分らしさ」は体現出来ている。
このあたりで、何か私これ知ってる……となった。
就活のエントリーシートだ。
私も新卒で就活をした身だが、1番苦しんだのは自己PRだ。自分で自分のいいところをあげる、これが凄く難しい。悩んだ挙句、友人に自分のいいところを聞いたりした。それは有難く使用したけれど、全て納得できたかと言われると、素直には頷けない。多分周りが思うほど私の思う私は真面目ではないし、面倒見の良さも、多分そういう自分に酔っているだけだ。でも、他者から見たら、それが私という人間なのだ。
き、北村!お前、6年目(だよね?)にして、自己PRにぶつかってるぞ!
北村は、普通に就職して自分らしく振る舞えなくなることが嫌でアイドルになったのに、これでは本末転倒ではないか。そんな事実に、凄く今更気が付いて、愕然とした。私が就活のときにぶつかった主観と客観の違いに、今彼はぶつかっている。
そして北村の難しいところは、「客観を再現出来るだけのスキルがある」ことだ。余談だが、私は彼の魅力の一つは、空気を読めることだと思っている。周りの様子を見て、自分の中で出していいものと出してはいけないものを選り分けている。それが故意か無意識かは分からないけれど、北村はそうやって19年間を生きてきた。そして今、そのスキルが仇となっている。
彼は、他者から見た自分を、空気を読んで再現出来てしまう。
多分本来の彼は、チェンジ前のイラストでよく見かける、素朴で年相応な姿をしているのだろう。兄や両親を思いやる優しさも持ち合わせている(正直、優しいがゆえに空気を読みすぎるのかもしれない)。だから、一歩引いた場所から物事を見られる、雨彦や翔真からでないと、彼の違和感に気付かない。
いや、北村想楽の物語、始まったな……。
担当するプロデューサーだが、私は今のところ、彼への答えを持ち合わせていない。私も少なからず社会に合わせて演じている部分はあるし、でも私はそんな自分が割と嫌いじゃない(ある程度自分の理想になれるので)。そして多分、これはプロデューサーにはどうにも出来ない問題だ。プロデューサーだって、一種の客観であり、北村と同じ目線で物事は見られない。当たり前だ、他人なのだから。
だから、多分これは、北村が見つけなければいけない問題なのだ。
この辺りまで考えて、ふとソロ曲の歌詞を思い出した。
「言葉を紡いでただありのままに 想いをものすって容易いでしょ」という部分。そう、容易いのだ。表現するだけなら。
しかし、言葉は受け取り手によって形を変えることがある。自分の伝えたい通りに伝わることなど極めて稀だ。
北村が自分の考える自分らしさが、他者に、彼の考えた通りに受け取られないように。
こればかりは仕方ないのだ。何せ違う人間だから、心が違うから、こればかりは。
でも、北村は北村の答えを選んでほしい。
これはプロデューサーたる私の心なので、私の思った通りには受け取られないかもしれない。
でも、私は多分、見ていることしか出来ない。
幸い、彼には2人の頼れる仲間がいる。
だから、北村が「僕も僕を知らなきゃね」と感じただろう今、彼が彼の答えに辿り着くことを、願ってやまない。
ところで何とか長チケから出てきてくれませんか……これは正しく受け取られてほしいんだが……。
We are 315!は希望の言葉だ。(SideM5周年によせて)
ジェネコンで号泣した話。
ミーティングお疲れ様でした!!!長いようであっという間の315の日でした。本当に本当に楽しくて、72時間笑いっぱなしでした。
世界は動き出した〜静岡公演2日目、担当ソロ記念
静岡公演、そして3rdライブツアー完走お疲れ様でした!
Mマス歌詞語り②和風堂々!〜WAnderful NIPPON!〜
歌詞解釈第2弾。
『あいどる』とかけて 「あら、謎掛けかい?」
『芸事修行』と解く そのココロは?
『ふぁん(不安)』と歩いてく〜…「ぞなもしっ!」
もっと自由です 本当は、侘びも寂びも
喜びだから 「受信でにゃんす!」
感じれるんです、きっと…朝な夕な、四季折々に
伝統って流行が、ずっと続いてるんです
そう、この瞬間も!
(中略)
笑い、和み、そして傾(かぶ)いてるんです
そう、この瞬間も!
続いていく、まさに芸能はメッセージ
彩の強さはこういうところだと思います。
どんな舞台もちゃんと整ってる
八百万(やおよろず)の道 「誰も彼もが!」
花道を歩く千両役者 なれるはずだねェ
伝統って、感情を分け合った未来なんです
そう、この瞬間も!
所作も型も、互い手を取り合うため
一番語りたかった歌詞。
出端から引き込み、までもっとアピールしましょ!
幽玄実行!一緒に一座建立しましょう!
てんつくてんてんぶんちゃっちゃ!
いざ! いざ!
あっ! それ! それ! それ! それ!
それ! それ! それ! それ!
「宇宙のぱわーを送るでにゃんす!」
「…しばらくいい子にしておいてくれる?」
「どうしてあなたはいつもそう…」
伝統って流行は、ずっと続いてくんです
そう、未来永劫に!
胸を張って、見栄を切って和風堂々!
それがジャパネスク!(セイッ! セイッ! セイッ!)
笑い、和み、そして傾(かぶ)いてるんです
そう、未来永劫に!
続いていく、まさにアイドルはメッセージ
WAnderful!そうさNIPPON!
さぁ、どうぞよしなに!!
都築圭の停滞と開幕 〜3rd LIVEによせて
歌詞解釈番外編(?)。