世界に感謝。

ただただ長いだけの語りとか感謝とか。

百々人のぴぃちゃんであるということ。(愛知公演初日 百々人初ソロ舞台によせて)

 

愛知公演お疲れ様でした!2日間現地にて参戦させていただきました、とてもとても楽しい2日間でした。
さて、今回は百々人のソロの話です。
サイスタを始めて、百々人が担当の一人に加わり、そんな彼の初ソロを見るために愛知に赴いたので、なんか感想というか……クソデカ情緒の整理というか……そんな感じです。


そもそも何故百々人が担当に加わったのか。
元々私は都築、翔真、北村を担当していました。見事なまでのメンタルPで、クラファ発表からも、メンタルとして百々人のことが気になっていました。しかし、いざリリースして彼の理由が判明すると、今までとは違う意味で、彼を大切にしたいと思うようになりました。
百々人は自分には才能がない、だから生きる資格がない、誰かに生きてていいと言ってほしい、そんな願いを持った子です。その考えに、私は覚えがありました。
私はごくごく普通の一般家庭に生まれ育ちましたが、何故か「家族とはいえ他人なのだから、両親の望む子にならなければ、家に置いてもらえないかもしれない。運動も芸術も駄目だから、せめて勉強は出来るようでいなくては」という意識がずっとありました。別にそう言われて育ってきたわけではなく、一種の強迫観念のようなものです。いい点をテストでとっても、何故満点がとれなかったのか、母に理由を聞かれていたのも原因かもしれません。幸い私はまわりに恵まれており、両親ともすごく仲が良いとはいかなくとも、
それなりの関係のまま今日に至っていますが、何故か勝手に感じていた意識は、今も何となく根本にあったままです。
だから、百々人の理由を知った時、私はその感覚を知っている、と思いました。百々人の育ってきた環境は私とは全然違いますし、彼の両親のしていることは許されてはならないことだと感じますが、両親の望む姿でありたいと願う気持ちは、とてもよく分かってしまいました。
結局今、私は運動も勉強も芸術も秀でていないまま、大人になっています。似たような気持ちを知っている彼に、何か出来ればと思い、私は百々人を「担当アイドル」と呼ぶようになりました。

さて、そんな担当のソロを初めて試聴で聞いた時、私は震えてしまいました。静かなメロディの中で響く彼の歌声は、痛々しいくらいの感情が乗っていて、剥き出しの、何の飾り気もない無色の心が、真っ直ぐにぶつかってくるのを感じて、試聴だけで心臓が痛くなってしまいました。
感情をあらわにする歌というのは、受け止める側も相当な体力を使うと私は思っています。例えばAltessimoのOpusもそうですが、物静かな曲なのに全力ダッシュをしたあとのようなしんどさを感じるのです(私の体力がないからかもしれません)。
生でライブで聞いたらどうなってしまうのだろう。楽しみと不安が半々の中、今回のライブに向かうこととなりました。

明るく疾走感のあるGo Nextが終わり、静かになった空間の中、スモークのたつステージに蹲る百々人を見た瞬間、ひゅっと喉が鳴りました。先にステージを見ていたのですが、その奥、モノクロな液晶画面に、沢山のPが照らしているペンライトが無機質に輝き、それが見えないような体勢で手を動かす百々人。
子どもの絵の描き方だと思いました。幼稚園生くらいの子が、床の上で絵を描くときの体勢。彼はきっと、その頃からずっと、画用紙の上で色を塗り広げながら、こんな世界にいたのだと思うと、自然に涙が溢れてしまいました。CDよりも余程剥き出しの、ガラスの破片みたいな歌声が耳に刺さるたび、たった17年しか生きていない百々人の心の傷を、その身体を思って、また涙が溢れました。
Hundreds Colorは、百々人の戦いの記録であり、諦めなかった勇気の在処なのだ。
私はそう感じて仕方ありませんでした。
百々人は本当に強い子です。
ずっとずっとたった一人で戦ってきて、何度も挫けそうになって、それでも叶わないものに手を伸ばす、その生き方が痛々しくて、尊くて、美しいと思います。
私は、百々人は本当に才能がない子ではないと思うのです。でも、百々人が欲しいのは、多分それではないのでしょう。彼の環境はあまりに過酷で、痛かったね苦しかったね、もういいんだよ、あなたが欲しいものはもう持ってるんだよ、と、言ってあげたくなります。でも、多分今の彼は、納得しないんではないでしょうか。
彼はまだ、花園百々人を探しているんだと、今回のソロを聞いて強く感じました。
なら、Pの私に出来ることは、一緒に探していくことなのかな、と思います。
百々人は素直で柔らかい心の持ち主です。「もういいんだよ」といえば、きっと、ぴぃちゃんが言うならそうなんだね、と受け入れてしまいます。本人が納得していなくても、「ぴぃちゃんが望む花園百々人」になるために。事実、ぴぃちゃんの考えるアイドルになることが、今の百々人の願いです。そうじゃないんだよ、と言うのは、きっと簡単に出来てしまいます。ただ、私は、百々人の「なりたい」を否定したくないな、と思ってしまいました。
どんな理由があれど、百々人の今の願いは、きっとそれなのです。花園百々人を探している百々人は、まだそれを見つけられないまま、色を与えたぴぃちゃんの願いに応えることを自らの願いとしています。

いやぁ、出来ないです。
なりたいなら、なっていいよ、と言ってしまいます。
大人として良くないことなのでしょう。でも私は、その感覚を知っています。なりたい自分像がないまま、でも誰かに好かれていたくて、誰かの望む自分であろうとする感覚。
なら、百々人が自分を見つけるまでは、「百々人の望むぴぃちゃん」でありたい。
スクリーンいっぱいに広がる色を見ながら、そう考えていました。
百々人はまだ17歳です。これから背が伸び、輪郭が鋭くなり、たくさんのものを知り、いつか、ぴぃちゃんだけじゃない世界が見えるようになる。そんな時まで、「百々人の柔らかい心の中心が欲しいと思った色を与えたぴぃちゃん」でいたい、と思いました。
(本当はその色も百々人が自分で見つけたんだよ、と言ってあげたいのですが。)

ソロ後のMCで、みやたんが「彩ってくれてありがとう」と言っていました。私からすれば、彩らせてくれて、ぴぃちゃんに見つけられてくれてありがとう、諦めずにいてくれてありがとう、という気持ちです。
315プロなら、C.FIRSTなら、彼の探す花園百々人が見つかると確信しています。
彼の花園が、彼が見つけたたくさんの色で溢れますように。

北村のSideM、始まったな……!(モバペンギンイベクソデカ感情)

アイドルマスターSideM、始まったな……。


ペンギンイベ読了後、最初の感想である。

何かもうデカい感情の行き場が無さすぎて唸りながら今この文を書いているし、動揺のあまり家族の歯ブラシを間違えて使いかけた。馬鹿野郎なんだわ。

いや、ペンギンイベ、すごい。

あまりに語りたいことがありすぎて久々にブログを書くことにしました。助けて欲しい。


※モバゲー版アイドルマスターSideM、「氷上のアクアリウム 個性豊かなペンギンたち」のネタバレしかありません。未読の方はお気をつけください。



アイドルマスターSideMが始まって7年経つが、担当を名乗る自分でも今更そういえば!と思ったことが、今回のイベントで明らかになった。

北村の「アイドル像」である。

北村は、「自分らしく生きるため」にアイドルになった。これ、実は矛盾しているのではないだろうか?

アイドルとは偶像であり、ファンからの信仰を集める崇拝対象である。他のアイドルマスター作品を見てみると、アイドルとしての自分を演じている子もいるあたり、多分、アイマスの中にそういう思想は多少あるだろう。

今イベで北村は「水族館のPR」にクリスではなく自分がメインで、ペンギンモチーフのPVに前面に出ることに終始違和感を覚えていた。つまり、北村にとって水族館のPRにはクリスがメイン選出されてしかるべきであり、ペンギンと自分が結びつく要素もなかったということだ。しかし、企画は北村にこそと思ってこの仕事を持ってきた。


北村にとって壁となるだろう、主観と客観の違いが、初めて持ち出された。


北村は自分がペンギンから連想される、可愛いイメージの人間だとは思っていない。それはそうだろう。傍2人がツインタワーなので忘れがちだが、北村は決して小さいわけでも華奢なわけでもない。声は少し可愛いかもしれないが、それをウリにしているわけではない。19歳の青年が、意識もしていない「可愛い」キャラを当て嵌められているだけだ。しかし、世間は北村をペンギンの似合うキャラクターだと思って、仕事を持ってきてるわけである。きっとあちらの時空のファンは、ペンギン姿の北村に、可愛い!と反応を示しているだろう。少なくとも私は可愛い!と叫んだ。

さて、これは果たして「自分らしい」と言えるのだろうか。自分の思う自分らしさを体現出来ていないが、他者の思う「自分らしさ」は体現出来ている。

このあたりで、何か私これ知ってる……となった。

就活のエントリーシートだ。

私も新卒で就活をした身だが、1番苦しんだのは自己PRだ。自分で自分のいいところをあげる、これが凄く難しい。悩んだ挙句、友人に自分のいいところを聞いたりした。それは有難く使用したけれど、全て納得できたかと言われると、素直には頷けない。多分周りが思うほど私の思う私は真面目ではないし、面倒見の良さも、多分そういう自分に酔っているだけだ。でも、他者から見たら、それが私という人間なのだ。


き、北村!お前、6年目(だよね?)にして、自己PRにぶつかってるぞ!


北村は、普通に就職して自分らしく振る舞えなくなることが嫌でアイドルになったのに、これでは本末転倒ではないか。そんな事実に、凄く今更気が付いて、愕然とした。私が就活のときにぶつかった主観と客観の違いに、今彼はぶつかっている。

そして北村の難しいところは、「客観を再現出来るだけのスキルがある」ことだ。余談だが、私は彼の魅力の一つは、空気を読めることだと思っている。周りの様子を見て、自分の中で出していいものと出してはいけないものを選り分けている。それが故意か無意識かは分からないけれど、北村はそうやって19年間を生きてきた。そして今、そのスキルが仇となっている。

彼は、他者から見た自分を、空気を読んで再現出来てしまう。

多分本来の彼は、チェンジ前のイラストでよく見かける、素朴で年相応な姿をしているのだろう。兄や両親を思いやる優しさも持ち合わせている(正直、優しいがゆえに空気を読みすぎるのかもしれない)。だから、一歩引いた場所から物事を見られる、雨彦や翔真からでないと、彼の違和感に気付かない。


いや、北村想楽の物語、始まったな……。

担当するプロデューサーだが、私は今のところ、彼への答えを持ち合わせていない。私も少なからず社会に合わせて演じている部分はあるし、でも私はそんな自分が割と嫌いじゃない(ある程度自分の理想になれるので)。そして多分、これはプロデューサーにはどうにも出来ない問題だ。プロデューサーだって、一種の客観であり、北村と同じ目線で物事は見られない。当たり前だ、他人なのだから。

だから、多分これは、北村が見つけなければいけない問題なのだ。

この辺りまで考えて、ふとソロ曲の歌詞を思い出した。

「言葉を紡いでただありのままに 想いをものすって容易いでしょ」という部分。そう、容易いのだ。表現するだけなら。

しかし、言葉は受け取り手によって形を変えることがある。自分の伝えたい通りに伝わることなど極めて稀だ。

北村が自分の考える自分らしさが、他者に、彼の考えた通りに受け取られないように。

こればかりは仕方ないのだ。何せ違う人間だから、心が違うから、こればかりは。

でも、北村は北村の答えを選んでほしい。

これはプロデューサーたる私の心なので、私の思った通りには受け取られないかもしれない。

でも、私は多分、見ていることしか出来ない。

幸い、彼には2人の頼れる仲間がいる。

だから、北村が「僕も僕を知らなきゃね」と感じただろう今、彼が彼の答えに辿り着くことを、願ってやまない。



ところで何とか長チケから出てきてくれませんか……これは正しく受け取られてほしいんだが……。

We are 315!は希望の言葉だ。(SideM5周年によせて)

Q.これ何の文ですか?
 A.クソデカ感情考察に見せかけた怪文書(はちゃめちゃ気持ち悪い)

 SideM5周年、おめでとうございます!!! 5年ですよ。赤ちゃんが幼稚園に入ってしまう。5年前、「10年続くコンテンツに」と聞いた時、長いなーと感じましたが、あっという間に折り返しです。サービス終了では?と戦々恐々としてたのが嘘のよう。こんなに華やかに祝えるほど、SideMは大きくなりました。 この節目に、改めてSideMの掲げる「315」について考えたいな、というのがこのブログです。 
315、最高、さぁ行こう。 たくさんの掛詞である、この事務所名。これは祈りであり、目標であり、絆の言葉だと思っています。315プロに集ったアイドルたちは、みんな様々な理由を抱えています。みんな、アイドルになりたくてなった訳ではない。ここはちょっと珍しいかな、と思ってます。理由も目的も違う彼らが、どうしてあんなに輝きながら同じ場所にいるのか。 これについては、315プロという大木の下に来たからだと思います。 顕著なのは、『Reason‼︎』の歌詞です。

 運命が描く星座を 追いかけて 
同じ場所に 立っているのさ 
絶対っていう言葉を 信じられる 
理由を持ってる 仲間と共に
(Reason‼︎) 

ここの「理由」には、315プロで出会ったから、というものが入ると思います。 アニメ12話で、「事情は分からずとも仲間だから信じる」と桜庭に伝えた天道輝のように、きっと誰もが、アイドルになった経緯よりも、今ここに生きてる、出会ってることを重視するから。でもそれは決して過去を否定するのではなく、「過去を歩み今を生き、未来を見ているあなた」をまるごと見てくれる、優しい人ばかりが集まっている。個性的なアイドルたちに共通するのは、その優しさだと思っています。彼らはそれを優しさだと知らないまま、互いに分け合っている。本当に、いい仲間たちです。
 さて、他にも315という言葉は様々な姿で、何度も歌詞の中に姿を表します。

 進む今日に色をつけよう 315のcolors 
(流星parade)

 315 最高 幕は上がったんだ
(GLORIOUS RO@D) 

 315の時を引き寄せる
 (POKER FAITH) 

 315! Friendly Smile 
(Friendly Smile) 

そうさ We are 315
 (Let's Go!) 

やっぱり全体曲が多くなりがちなのは、これが鼓舞でもあるからでしょうか?
はっきりと明言こそしなくとも、315を匂わせるフレーズもたくさん登場します。 

限界はまだ いらないから
 Try! 挑みに行こう 成層圏を突き抜け 
(Brand New Field) 

 真っ直ぐに 空高く 輝いた 場所へと 
(STARLIGHT CELEBRATE!) 

 We can High Jump! ゆこう 
跳べるところまで 
(HIGH JUMP NO LIMIT)

 私はよく「最高」といいますが、多分彼らに最高というものはないのだと思います。なぜなら、最高を決めてしまえば、そこが上限だからです。だからこそ、彼らは最高を歌います。ここが上限ではないと発信するために。彼らは自分の新しい最高を更新し続ける。だからこそ、私は彼らのことを眩しく、誇らしく思います。

 SideMを象徴する言葉の一つに、「We are 315」という言葉があります。私はこの言葉が大好きです。生きていく中で、自分を最高だと思うことってそうそうありません。また、私が最高だと思うものが本当にそうなのかは、価値観の問題で、絶対そうとは言えません。
 でもただこの時、SideMでみんなが「We are 315」と叫ぶあの瞬間だけは、私が最高だと思うアイドルたちが、「自分たちは最高だ」と言ってくれるのです。正直、こんな嬉しいことはありません。
 更にこれは、私たちPが言うことで違った意味を持ちます。 現実の私は、お世辞にもよくできる人間とは言い難く、ちょっとしたことですぐ落ち込むし、自分は駄目だなあ、と思ってしまいます。 でも、SideMでコールをしてる時は、アイドルたちに向けて「We are 315」を発しながらも、このWeには、Pも入ってるんだなあと泣きそうになります。 
アイドルたちはよく、Pを凄い、と言ってくれます。正直、私はそんな風に言ってもらえる人間ではないし、アイドルたちの言うPはあくまでゲームのPであって、私そのものではありません。 でも、最高のアイドルを「最高だ」って言える自分は、最高だと思います。というより、彼らと出会えた私は最高だと思っています。だからSideMに関わる時だけは、自分が最高だってコールします。 それは勿論、私だけではありません。 アイドルたちに声を吹き込んでくれるキャスト、運営、その他色々な形で関わっている全ての人。 そして、同じものを最高だと言ってくれる、たくさんの同僚さんたち。
 私はSideMに関わるもの全てを最高だと言える、あの瞬間が大好きです。 
そして、最高だからこそ、アイドルたちは更に進み続けます。

 Just keep on going We are 315! 
(DRIVE A LIVE)

 ただ進み続ける、その理由は「自分たちは最高」だから。 これからも、ずっとずっと、最高を更新し続けるSideMが大好きです。 5周年、本当におめでとうございます。 アイドルたちが胸を張れるプロデューサーであれるよう、私も頑張ります。

ジェネコンで号泣した話。

ミーティングお疲れ様でした!!!長いようであっという間の315の日でした。本当に本当に楽しくて、72時間笑いっぱなしでした。


さて。
3公演目、サイバネティクスウォーズ0の主題歌、「Genesis Contact」が初披露されました。期待してはいましたが本当に見られると思ってなかったので、朗読の途中からひたすら泣いてました。
ジェネコンへの思いがちょっとはちゃめちゃすぎるので、ぶつける先にと思ってブログに書きます。。
やや言葉が正しくないかもしれません。終わった高揚感で書いてます。

今や恒例となった続編選抜。
その記念すべき第一回で選ばれたのが、サイバネゼロでした。
はじめてサイバネが出てきた時の衝撃は忘れられません。正直、最初は「アンドロイドVs人間?また変わったイベントかな?」と思いきや、濃いストーリーに各キャラの成長譚が重なり、気がつけば夢中で駆け抜けてました。
とんでもないものが来たぞ、とツイッターを覗けば、予想通りの祭り状態。
私が特に衝撃を受けたのは、サイバネ登場人物一人一人のキャラのバックボーン、名前がきちんと練られていたことでした。映画や舞台、ドラマを演じる魅力は、他の人間になれることだと私は常々思っております。違う人生を生きてきた、違うキャラになっているサイバネは、一気にお気に入りのストーリーになりました。
そんな中やってきた、続編希望投票。サイバネAを見た私は飛び上がってしまいました。私の担当は都築圭、華村翔真です。その2人が、サイバネに出られるかもしれない。あの衝撃を受けた作品に、担当が。本音を言えばどの続編も本当に本当に見たかったけれど、このメンバーにサイバネを託すことを決めてくれた、その中に担当がいたのが本当に嬉しかったです。
そうして投票を頑張り、サイバネゼロの作成が決定されました。他のイベントを推していた方が沢山いらっしゃったのも知っていました。どの方のプレゼンも素晴らしくて、同時にサイバネゼロへの誇りとプレッシャーを感じていました。
サイバネゼロが選ばれて嬉しかった。偽りなく本音です。
でも、ほかのイベントを推していた方々が残念に思われる声も見えていました。サイバネはただでさえ一世を風靡したイベントです。人気も重々理解していました。私も、人気イベントだということを意識しなかったとは言えません。ただ、「担当を人気作に出したい」という気持ちで投票したことに、少しだけ罪悪感を覚えてしまいました。これが選ばれたのは、サイバネの力じゃないのか。私は本当に、純粋に続編が見たいという気持ちで入れたのか。「見たいものと入れたい先が被ってラッキー」なんて思わなかっただろうか。そんなことを考えてしまう自分が、何より恥ずかしいと思いました。だってそれは、私以外に投票した方への冒涜です。私1人が投票したからサイバネゼロが決定した訳ではありません。烏滸がましい意見です。本当に本当に、恥ずかしかったんです。

私の気持ちとは裏腹に始まったサイバネゼロイベントは、本当に素晴らしい出来でした。個人的には担当に最高の悪役を持ってきてもらえたのが嬉しかったです。イーサン許せない、と感じてしまう自分に、思わずにやにやしてしまいました。
そして、主題歌「Genesis Contact」が発売されました。この出来もまた、とても素晴らしいものでした。初めて聞いた時、思わず「すごい」と口走っていました。これが発売された当時、ユニット越境曲は存在していませんでした。SideMはその特性上、どうしたってユニット売りが前提になります。勿論ユニットも大好きですが、ユニットを離れないと見えないものもある、というのは、それまでのモバエムの選抜イベントで感じていました。それが、こうやってCDになっている。SideMはまだまだ新しくなっていく。ジェネコンは、一気にお気に入りの曲になりました。
その中で、SNSをしていた時に、「ジェネコンの売上が良くない」という話を見かけました。
担当がいない、他のイベントを推していた方は買わないかもしれない。ドラマCDパートも宣伝がメインだし(私はドラマCDパート内、CMで聴けるADAMの叫びが大大好きです)、前作サイバネが好きだった方、期待していた方は買わないだろうな、そう思いました。
頭では分かっていたけれど、悔しかった。
誰が悪いわけでもないし、買わないのも選択です。だからこれは私が勝手に思っているだけです。すごくいい曲だと思いました。お互い向かい合わせでリクとADAMが歌ってるところが見えました。「お前は最悪の親友だ」「僕を破壊してください」という掛け合いの後、イントロが流れるのを想像しました。商業である以上、売上は絶対です。でも、担当が選ばれた私が言っても、説得力がない。担当いるし、サイバネだし!そんな気持ちがなかったわけじゃない。思ってしまう自分に腹がたつ。そんなことをずっと考えていました。

ジェネコンがリリースされて、1年以上。今日、初めてジェネコンが披露されました。
今日のながにゃんの台詞ではないですが、「ジェネコンはずっと披露されないかもしれない」と、私は心のどこかで思っていました。ただでさえユニットメンバーがバラバラです。今日の出演者を知った時、もしかして?と思いました。ジェネコン歌ってほしいな、と友人にも話しました。心のどこかで「ま、ないよね」と思いながら。
暗転後、どこが何を歌うのか?とシャッフルを楽しみにしている中、突然液晶に映る「Cybernetics Wars」のロゴ。
叫びました。歌ってくれるの!?と絶叫しました。
浮かび上がるずんたさんとたかぴーの姿、始まる朗読。「ただやるだけではなく、サイバネをちゃんと伝えてくれるんだ」と分かり、途中から涙が止まりませんでした。
そして始まる、ジェネコンのイントロ。幾度となく聞いた、爽やかなのにどこか切なくなる、近未来が想像できる音。もうずっと泣いていました。念願のジェネコンなのに、最後まで泣きっぱなしでした。
格好良かったです。
サイバネゼロに投票してよかった、と心底思いました。
しかも、大好きな「最悪の親友」の掛け合いをしてくれました。ラスサビでリクとADAMが向かい合って歌いました。それまでアンドロイドらしい表情をしていたながにゃんが、満面の笑みで踊っていました。私がこんなんだといいな、してほしいな、と思った演出と同じで、また涙が止まらなくなってしまいました。
投票で決まったイベントです。投票で決まった曲です。でも、見たい、聴きたいと思ったものです。
こんな最高の形で見られて、世界一幸せでした。

パッション爆裂大作戦ではその後、ベスゲの続編が決まりました。こちらでも担当の北村想楽に出演の機会をいただき、感謝しかありません。今日からまた、新しい投票企画が始まっています。
Pみんなで、「こんなのはどうかな」と提案しあってワイワイ騒げるこの企画が、私は大好きです。
またワイワイ言いながら、投票を楽しみたいと思います。

まあそれはそれとして、他イベ曲も聞きたいし初代と2の曲も欲しいです。言えば叶うので言っていきます。

今日聞いて「ジェネコン、いい曲!」となった方、是非CDもお願いします。ドラマCDも、それぞれの役柄への気持ちとか、CMとかがあってめちゃくちゃいいです。個人的には宣伝番組「サイバネティクステーション」が好きです。
https://www.amazon.co.jp/IDOLM-STER-SideM-「Cybernetics-願いを宿す機械の子-」/dp/B072JYLFWM

本日開始の「パッション爆裂大作戦」、是非都築圭に超常学園ライバル役をよろしくおねがいします!都築圭に悪役をさせたいです!!!
ていうか全部見たいよ全部やって運営!!!!!!ライサムものぞみらもはずるいよ!!!選べないよ!!!!!!

世界は動き出した〜静岡公演2日目、担当ソロ記念

静岡公演、そして3rdライブツアー完走お疲れ様でした!

副業の関係で2公演見られませんでしたが、とても幸せな2ヶ月でした。



さて。
今回の静岡公演2日目にて、担当である都築圭がソロ曲を初めてフルで披露させていただきました。皆様、楽しんでいただけましたでしょうか。さも演出した人間みたいに書いてしまいましたが、私はてっきり都築は静岡1日目で披露だとばかり思っていました。福岡現地で何故か「都築Pのいないとこでばっかり歌う!いっつもそう!そういうとこある!好き!」と居ない担当にキレるくらい思い込んでいたので、仕事終わりに友人Pから「都築確定ガチャおめでとう」と来たときには、喜びというより拍子抜けの方が強かったです。
幕張2日目後のブログでも書きましたが、今回のライブツアーで私は都築の新しい一面(というか、勘違いしていたところ)にたくさん気付けました。担当の可能性を広げるプロデューサーが、担当の可能性に気付いていなかったのは心底馬鹿だなーという感じなんですが、今回の静岡ではどちらかというと、「やっぱり私の担当は最高だな!」という満足感と確信に満たされました。という話をつらつら書きます。多分どちゃくそに長くなります。



Never End 「Opus 」と「Op.Glad」
 
私は、Altessimoの曲の中ではNever End 「Opus」が一番好きです。元々ピアノを15?6?くらいやっていたのもあり、構成は勿論曲調、歌詞も大好きです。(歌詞の一部についてはずっと引っかかった状態でしたが解消されました。詳しくは前記事で)
ただ、ライブで見るOpusは、ただただ感情を剥き出しでぶつけられて、ぐいぐい引きずりこまれて、大好きだし最高だけどとてもしんどい曲、という印象でした。勿論それが悪いわけではないのですが何というか、とても精神的な体力を使うというか。楽しみではあるけど、同時にとても怖いものでもありました。
ただ、静岡2日目はOpusという曲の本当の意味に気付きました。
Altessimoは「一枚きりだった翼が比翼になるみたいに」という歌詞に象徴される通り、比翼・対・運命を強調したユニットです。2人きりの世界観を持ち、都築は麗さんを、麗さんは都築をとても大切なパートナーだと思っています。ただ、そこに至るまでは2人とも苦悩の日々でした。都築はただ停滞していて、麗さんは好きだった音楽に苦しみ、それこそお互いが「孤独に咲いてた旋律」だった訳です。
T1Mが紹介曲なのに対し、Opusはそんな苦悩を全面に押し出した曲です。声優さんたちの悲痛な演技や演出、歌唱も相俟って、2ndではたくさんのPさんにお褒めの言葉をいただきました。
苦悩、運命の出会いを歌い上げた内容なので、演者であるお二人は無表情だったり、辛そうな演技が多かったです。声優さんって本当に凄いですよね。
ただ、今回は違った。
ラスサビの「偉大なる音楽家の作品群みたいに 僕たちもかなでようOpusを」でさぁっと明るくなり、向き直った2人が微笑みながら高らかに歌い上げる。
Opusは「孤独だった音楽家たちの苦悩の歌」ではなく、「巡り会えた喜びを歌う歓喜の歌」でした。
最後に「Op.Glad」って歌っていたのに、今更気付くなんて馬鹿だなあと改めて自省してたのですが、でもこれは、時を経たからこそ歓喜の歌になったのではないかな、と思います。
アイドルになりたての2人は本当にお互いのこと、自分のことで精一杯でした。しかし、様々な仕事を経験していく内に2人は少しずつ「2人きり」ではなくなっていきます。麗さんには四季わんやれんれんのような友人ができ、都築は音楽以外の道を知った。きっと、アイドルにならなければ2人はずっと2人きりだったでしょう。しかし、人と関わり、世界が広がってもなお「無くせなかった音楽」と向き合い続けたからこそ、歓喜の歌に成り得たのだろうと、私はそう感じました。
向き合って笑顔で歌う2人はとても幸せそうで、担当してきて良かったなあと、心の底から思いました。
ありがとうございます。

そして、Opusが歓喜の歌になったからこそ、ソロ曲がまた新しい世界を見せてくれました。




都築圭の「Sanctuary」

オーケストラのピッチ調整が挟まり(この演出すごく好きでした)、最高のパートナーのシルエットを映し、担当のソロは始まりました。優雅で美しくて、儚くも力強く、私が大好きな都築がそこにいました。
挨拶の時、永野くんが「土岐さん以外誰も心配してなかった」というようなことをコメントしていましたが、私も全く心配?緊張?はなく、どちらかというと「やっと私の担当アイドルが最高だと言うことを見せることができる」という喜びが強かったです。その為か、泣くことはなく(普段はめちゃくちゃ涙脆いし、桜庭ソロでは泣きました)、終始笑顔で見ることができました。情けないことにそのあとのGOLDで同じく担当の想楽が腰を振るという法律スレスレアウトなことをしてきたときは動揺のあまり「やだ!」と叫ぶなどとよく分からない拒否をしてしまったのですが。すぐ発狂してしまう。

発表時から、担当ソロ「Sanctuary World」は沢山の同僚さんから高評価をいただき、担当Pとしては嬉しい限りでした。私はこの曲をOpusの次章にあたる曲だと思っており、停滞し続けていた都築の世界を動かした麗さんとの出会いを歌った曲だと考えていました。Pらしきものを感じるのは「見守る日差し」くらいで、「都築は本当に麗さん大好きだな……」と思っていました。
ただ、Altessimoの世界が動き出し、Opusが歓喜の歌に変わった今、Sanctuary Worldもまた違った一面を見せてくれました。
前の記事で、都築の世界は停滞していた、というようなことを書きました。しかし、その停滞していた世界でも、彼にとって世界は輝いていた。音楽と生き、音に囲まれ、一見すると周囲からは少し哀れにも見えるような彼は、それでもとても幸せだったのだと思います。ただ、閉じた世界であったために、そして自分を魅了した歌い手が消えたために(個人的にはこの歌姫が最初に都築の世界を動かしたと思ってます)、「眠っている海月」のようになってしまっていたのでしょう。
沢山の仕事を通し、音楽だけだった都築の世界には沢山のものが増えました。それはきっと麗さんに出会わなければ、アイドルにならなければ一生手に入らないものばかりだったでしょう。そうして、彼の世界はまた輝き出します。
今の都築は、これまでの何か一つが欠けたってここに存在しなかったわけです。
Sanctuary Worldは、麗さんとの出会いだけでなく、そんなこれまでの全てに対しての出会いの歌なのだな。どこかのインタビューで土岐さんが「麗さんへのラブレター」みたいなことをコメントしたそうですが、世界へのラブレターでもあるのではないかな。私はそう感じました。Sanctuaryはまさに、世界そのものだと。
でもそれは、Opusが進化したからこそだと思います。
スクリーン演出で冷たい色の大聖堂で神様と音楽とだけいたのが、サビから暖かい光の方へと鳥籠を超えていくようなものに変化しているのが、まさにこの曲の象徴だったのだと思います。

Altessimoは2人の世界が強過ぎるあまり、Pやファンは彼らの世界にいらないのではないかとずっと思っていました。事実、Sanctuary Worldは徹頭徹尾麗さんのことを歌っています。
しかし、今回聞いて、違うな、と思いました。

あらゆる機微  押し寄せる思い
もう一度今  届けてみようか

誰に届けるのか。世界、そしてファンに。
どうしてそう思えたのか。麗さんと出会いAltessimoになったから、そしてアイドルを選んだから。
貴方をアイドルにすることに悩んだ日もありました。でも、アイドルになって彼は違う世界を見つけた。本当に本当に、心底嬉しかった。

ラスサビ前に、土岐さんは「フィナーレだ」という台詞を織り込みました。ラスボスみたいで格好良かったです。
多分都築なので、音楽要素としてのフィナーレ(最終章)という意味だと思うのですが、そのフィナーレのあとに「Rebirth my world」という歌詞がきました。まるで最終章のタイトルのように聞こえて、ああ、ここからまた始まるのだな……と感じました。
ここからまた、都築の世界は、物語は始まっていくのだと思います。




長々書きましたが、都築のポテンシャルはまだまだこんなものではないと思います。もっとダークな歌やラブソングも歌ってほしい、沢山演技もしてほしい。欲はつきません。
マイペースでパートナーにお世話してもらって、「何やってるんだしっかりしろ!」と言ってしまうプロデューサーですが、都築が世界一のアイドルだというのは知っています。315プロダクションのアイドルはみんな大好きですが、それでもやっぱり、一番は担当です。(担当が複数いるのであれですが)

貴方の担当で私は本当に幸せです。ありがとうございます。これからもPoco a Poco、いやandanteぐらいにはしたいですが、一緒のテンポで頑張りましょう。

Mマス歌詞語り②和風堂々!〜WAnderful NIPPON!〜

歌詞解釈第2弾。



担当の話してねぇ!!!となったので今回は担当曲。
私の担当は華村翔真、都築圭、北村想楽とわかりやすくメンタルです。その中から特にハチャメチャ度が高いが何故か泣ける(私が)曲で語ろうと思います。
え、和風堂々泣けない?泣けるよね?





『あいどる』とかけて 「あら、謎掛けかい?」
『芸事修行』と解く そのココロは?
『ふぁん(不安)』と歩いてく〜…「ぞなもしっ!」


この歌詞、「アイドル=ファン」と「芸事修行=不安」の掛け方だと思ってたんですが、315プロの子たちはみんな前職からの転身=不安はあるけどファンのみんながいれば頑張れるよ!みたいなことでもあるのかな?と最近思いました。というか、芸事修行もアイドルもどちらも、不安もファンも抱えていくものですよね。



もっと自由です 本当は、侘びも寂びも
喜びだから 「受信でにゃんす!」
感じれるんです、きっと…朝な夕な、四季折々に

九郎くんは、真面目ではあるけれど思考が柔軟で、茶道という伝統あるものを伝えようとしているけれど、それを「もっと自由です」と言えるあたりが本当に強いと感じてます。格好いいなあ。



伝統って流行が、ずっと続いてるんです
そう、この瞬間も!
(中略)
笑い、和み、そして傾(かぶ)いてるんです
そう、この瞬間も!
続いていく、まさに芸能はメッセージ

彩の強さはこういうところだと思います。
ネット上だとよく「〇〇警察」だとかって、伝統や型を重んじる方がたくさんいらっしゃいます。私も古いもの大好きなので、それ自体は大切だと思います。意味があっての伝統だったり型だったりなので。ただ、それを重んじるあまり、排他的になってしまうのはちょっと違うなあと感じていました。なので、この歌詞は本当に衝撃でした。
「伝統とは流行だ」これ凄くないですか?流行ですよ。一般的には型や作法とは真逆に置かれるようなものたちです。でも、言われてみたらそうですよね。流行って辞書引いたら「ある型のものが持て囃されて、一時的に広く世間で用いられること」ってあるんです。「一時的に」がなければ、流行と伝統にはほぼ差がない。昔の人から伝わってきた、「日本の流行」なんですよね……。それを、本気でその芸能に向かい合ってきた彩が歌うことの力よ。




どんな舞台もちゃんと整ってる
八百万(やおよろず)の道 「誰も彼もが!」
花道を歩く千両役者 なれるはずだねェ

これもはっとなりました。
歌詞だけみたら翔真らしさ全開感あるんですが、間に「誰も彼も」と入ってるんですよね。どんな道にいるひとでも、千両役者になれる可能性があるというわけで。多分私たちにも。それを、選んだ道で戦い抜いた翔真が歌うことに意味があると思うんですよね。




伝統って、感情を分け合った未来なんです
そう、この瞬間も!
所作も型も、互い手を取り合うため

一番語りたかった歌詞。
「所作も型も、互い手を取り合うため」
所作や型については若干前述しました。正直、この3人の中だと、九郎くんの茶道が一番所作や型に厳しいイメージがあります(素人です)。その彼が、「互い手を取り合うため」って歌うんですよね。自分や相手が一緒に進むためのものであると。
伝統は守らなきゃいけないと思うし、守りたいとも思います。でも、敷居が高く感じるのは事実です。九郎くんの言う、「若い人たちにも茶道を知ってもらいたい」って、そういう敷居を取り払うための架け橋ですよね……ありがとう……。





出端から引き込み、までもっとアピールしましょ!
幽玄実行!一緒に一座建立しましょう!
てんつくてんてんぶんちゃっちゃ!
いざ! いざ!
あっ! それ! それ! それ! それ!
それ! それ! それ! それ!
「宇宙のぱわーを送るでにゃんす!」
「…しばらくいい子にしておいてくれる?」
「どうしてあなたはいつもそう…」


ここのごちゃごちゃ感大好きなんですよね。
個人的には九郎くんの「幽玄実行」という言葉遊びが好きです。松井神が流石すぎる。幽玄って個人的には静寂とか、そういうイメージが強いんですが、それがこの祭囃子のような拍子で歌われるのが、彩の思想を映し出していてとても好きです。



伝統って流行は、ずっと続いてくんです
そう、未来永劫に!
胸を張って、見栄を切って和風堂々!
それがジャパネスク!(セイッ! セイッ! セイッ!)
笑い、和み、そして傾(かぶ)いてるんです
そう、未来永劫に!
続いていく、まさにアイドルはメッセージ
WAnderful!そうさNIPPON!
さぁ、どうぞよしなに!!



「和風堂々」って、いいですよね……。威厳が満ちて立派な様、「威風堂々」から私の中では「和が満ちて立派な様」と捉えていますが、やっぱり、和って伝統って格好良いなあと思います。それを伝えて行く彩というアイドルもまた、伝統と同じように伝えられていくメッセージとなるのだろうなぁとしみじみします。



長くなりましたが、彩の伝えるメッセージはなかなか敷居が高いものであるのは否定できないと思っています。でも、それは3人が人生をかけてまでハマったものたちなんですよね。それって、我々でいうところの布教、営業、宣伝なのではないでしょうか。
伝統ってこんなに面白いよ、楽しいよ、と伝えるメッセージの強さ。彩は本当の本当に格好良いユニットです。

都築圭の停滞と開幕 〜3rd LIVEによせて

歌詞解釈番外編(?)。


サドライ幕張お疲れ様でした、2日目現地にて参戦いたしました。本当に本当に最高でした、ありがとうございました。


で。
幕張ですが、担当が連続で出ておりました。私の担当は彩の華村翔真、Legenders北村想楽、そして今回語るAltessimo都築圭です。
サドライを経て、思うところがありましたので備忘録がわりに。


さて。
都築圭といえば、どのようなイメージを持たれるのでしょうか。
綺麗、歌が上手い、水しか飲まない、マイペース、エルフ、とかそんな感じですかね。
担当Pが担当を語る、ということはよくあることで、私も担当語りは大好きなのですが、都築圭を語ってください、と言われると私は困ってしまうのです。
何故なら、私の都築への印象は「わからない」だから。
都築のどこが好きなの?と言われると、わからないとしか答えられないのです。歌が上手い、顔、性格、いいなと思うところは沢山ありますし、欠点や改善点ならいくらでも言えます。でも、好きなところははっきりとわからない。どんな人間なのかという問いにも答えられない。私には都築圭がわからない。
もう一つ言えば、都築圭をアイドルにして本当に良かったのだろうか、という迷いもありました。私の中でずっと引っかかっていたのは、この歌詞です。

でも逃げ出せない 鍵盤上しか
居場所はないとわかってた
本当はずっと
(一部省略)


これが引っかかってた。「逃げ出せない」なんです、cannotなんです。それってつまり、本当は逃げたいってことなのか?これが、ずっと私の中の棘でした。音楽から飛び出せたはずの都築を引き戻してしまったんじゃないかなって、彼は本当にそれを望んでいたのかなって。
ご存知の通り、都築は音楽だけが全ての人間です。自分について多くは語らないし、語ることも上手くないです。彼の本音を私は知らない。だから、ずっとずっと悩んでた。

ただ、今回のサドライでそれが変わりました。

難しくとらえないで
あるがままでいいんだ
生まれるメロディこそが 僕らの証だから

今までずっと聞いて来た歌詞なのに、やっと意味がわかりました。今も昔も、都築圭は何も変わってなかった。音楽が好きだってことはずっと一緒だった。難しく捉えていたのは私だったんです。
彼はずっと、あるがままでいい、って歌っていたのに。
2日目挨拶で、駒田さんが「クリスの言っていることが分かった。遅いね、あなたの声なのに」みたいなことを言っていましたが、それと近いことを感じました。私は都築のプロデューサーなのに、誰よりもその魅力を理解しているべきだったのに、気付くのがあまりに遅かった。
プロデュースして3年近く、やっとスタートラインに立てたような気がします。

Opusの話に戻ります。
私がずっと引っかかり続けていた「でも逃げ出せない」とはどういうことなのか。
The 1st Movementの気付きを経て、私はこれを「停滞から逃げ出せない」という意味と解釈しました。
良くも悪くも、都築は停滞を好むと私は思ってます。でも、ひょっとしたら「停滞しか選べなかった」だったのかもしれないなあ。

麗さんと出会ってようやく動き出した都築の世界は、Tone's Destinyで一つの完成形を見せます。

歓びは繋がりあえるんだね
なんて幸せなんだろう!
もっと知りたいと思ったら 
世界 広がっていた

今まで停滞の世界で生きていた彼は、喜びが他の人と共有できることを「幸せ」と表現します。これが何より嬉しかった。例の歌詞が引っかかり続けていた私にとって、都築が「幸せ」と歌ってくれたことは救いのようでもありました。都築のことを勘違いし続けていたというのに、何だかおかしな話です。
きっと、都築圭という人間の世界はまだまだ生まれたてなのでしょう。

つがいの羽 見守る日差し

日差しなんて大層なものにはなれてない気がしますが、これからも一緒に頑張らせてくださいね。