世界に感謝。

ただただ長いだけの語りとか感謝とか。

世界は動き出した〜静岡公演2日目、担当ソロ記念

静岡公演、そして3rdライブツアー完走お疲れ様でした!

副業の関係で2公演見られませんでしたが、とても幸せな2ヶ月でした。



さて。
今回の静岡公演2日目にて、担当である都築圭がソロ曲を初めてフルで披露させていただきました。皆様、楽しんでいただけましたでしょうか。さも演出した人間みたいに書いてしまいましたが、私はてっきり都築は静岡1日目で披露だとばかり思っていました。福岡現地で何故か「都築Pのいないとこでばっかり歌う!いっつもそう!そういうとこある!好き!」と居ない担当にキレるくらい思い込んでいたので、仕事終わりに友人Pから「都築確定ガチャおめでとう」と来たときには、喜びというより拍子抜けの方が強かったです。
幕張2日目後のブログでも書きましたが、今回のライブツアーで私は都築の新しい一面(というか、勘違いしていたところ)にたくさん気付けました。担当の可能性を広げるプロデューサーが、担当の可能性に気付いていなかったのは心底馬鹿だなーという感じなんですが、今回の静岡ではどちらかというと、「やっぱり私の担当は最高だな!」という満足感と確信に満たされました。という話をつらつら書きます。多分どちゃくそに長くなります。



Never End 「Opus 」と「Op.Glad」
 
私は、Altessimoの曲の中ではNever End 「Opus」が一番好きです。元々ピアノを15?6?くらいやっていたのもあり、構成は勿論曲調、歌詞も大好きです。(歌詞の一部についてはずっと引っかかった状態でしたが解消されました。詳しくは前記事で)
ただ、ライブで見るOpusは、ただただ感情を剥き出しでぶつけられて、ぐいぐい引きずりこまれて、大好きだし最高だけどとてもしんどい曲、という印象でした。勿論それが悪いわけではないのですが何というか、とても精神的な体力を使うというか。楽しみではあるけど、同時にとても怖いものでもありました。
ただ、静岡2日目はOpusという曲の本当の意味に気付きました。
Altessimoは「一枚きりだった翼が比翼になるみたいに」という歌詞に象徴される通り、比翼・対・運命を強調したユニットです。2人きりの世界観を持ち、都築は麗さんを、麗さんは都築をとても大切なパートナーだと思っています。ただ、そこに至るまでは2人とも苦悩の日々でした。都築はただ停滞していて、麗さんは好きだった音楽に苦しみ、それこそお互いが「孤独に咲いてた旋律」だった訳です。
T1Mが紹介曲なのに対し、Opusはそんな苦悩を全面に押し出した曲です。声優さんたちの悲痛な演技や演出、歌唱も相俟って、2ndではたくさんのPさんにお褒めの言葉をいただきました。
苦悩、運命の出会いを歌い上げた内容なので、演者であるお二人は無表情だったり、辛そうな演技が多かったです。声優さんって本当に凄いですよね。
ただ、今回は違った。
ラスサビの「偉大なる音楽家の作品群みたいに 僕たちもかなでようOpusを」でさぁっと明るくなり、向き直った2人が微笑みながら高らかに歌い上げる。
Opusは「孤独だった音楽家たちの苦悩の歌」ではなく、「巡り会えた喜びを歌う歓喜の歌」でした。
最後に「Op.Glad」って歌っていたのに、今更気付くなんて馬鹿だなあと改めて自省してたのですが、でもこれは、時を経たからこそ歓喜の歌になったのではないかな、と思います。
アイドルになりたての2人は本当にお互いのこと、自分のことで精一杯でした。しかし、様々な仕事を経験していく内に2人は少しずつ「2人きり」ではなくなっていきます。麗さんには四季わんやれんれんのような友人ができ、都築は音楽以外の道を知った。きっと、アイドルにならなければ2人はずっと2人きりだったでしょう。しかし、人と関わり、世界が広がってもなお「無くせなかった音楽」と向き合い続けたからこそ、歓喜の歌に成り得たのだろうと、私はそう感じました。
向き合って笑顔で歌う2人はとても幸せそうで、担当してきて良かったなあと、心の底から思いました。
ありがとうございます。

そして、Opusが歓喜の歌になったからこそ、ソロ曲がまた新しい世界を見せてくれました。




都築圭の「Sanctuary」

オーケストラのピッチ調整が挟まり(この演出すごく好きでした)、最高のパートナーのシルエットを映し、担当のソロは始まりました。優雅で美しくて、儚くも力強く、私が大好きな都築がそこにいました。
挨拶の時、永野くんが「土岐さん以外誰も心配してなかった」というようなことをコメントしていましたが、私も全く心配?緊張?はなく、どちらかというと「やっと私の担当アイドルが最高だと言うことを見せることができる」という喜びが強かったです。その為か、泣くことはなく(普段はめちゃくちゃ涙脆いし、桜庭ソロでは泣きました)、終始笑顔で見ることができました。情けないことにそのあとのGOLDで同じく担当の想楽が腰を振るという法律スレスレアウトなことをしてきたときは動揺のあまり「やだ!」と叫ぶなどとよく分からない拒否をしてしまったのですが。すぐ発狂してしまう。

発表時から、担当ソロ「Sanctuary World」は沢山の同僚さんから高評価をいただき、担当Pとしては嬉しい限りでした。私はこの曲をOpusの次章にあたる曲だと思っており、停滞し続けていた都築の世界を動かした麗さんとの出会いを歌った曲だと考えていました。Pらしきものを感じるのは「見守る日差し」くらいで、「都築は本当に麗さん大好きだな……」と思っていました。
ただ、Altessimoの世界が動き出し、Opusが歓喜の歌に変わった今、Sanctuary Worldもまた違った一面を見せてくれました。
前の記事で、都築の世界は停滞していた、というようなことを書きました。しかし、その停滞していた世界でも、彼にとって世界は輝いていた。音楽と生き、音に囲まれ、一見すると周囲からは少し哀れにも見えるような彼は、それでもとても幸せだったのだと思います。ただ、閉じた世界であったために、そして自分を魅了した歌い手が消えたために(個人的にはこの歌姫が最初に都築の世界を動かしたと思ってます)、「眠っている海月」のようになってしまっていたのでしょう。
沢山の仕事を通し、音楽だけだった都築の世界には沢山のものが増えました。それはきっと麗さんに出会わなければ、アイドルにならなければ一生手に入らないものばかりだったでしょう。そうして、彼の世界はまた輝き出します。
今の都築は、これまでの何か一つが欠けたってここに存在しなかったわけです。
Sanctuary Worldは、麗さんとの出会いだけでなく、そんなこれまでの全てに対しての出会いの歌なのだな。どこかのインタビューで土岐さんが「麗さんへのラブレター」みたいなことをコメントしたそうですが、世界へのラブレターでもあるのではないかな。私はそう感じました。Sanctuaryはまさに、世界そのものだと。
でもそれは、Opusが進化したからこそだと思います。
スクリーン演出で冷たい色の大聖堂で神様と音楽とだけいたのが、サビから暖かい光の方へと鳥籠を超えていくようなものに変化しているのが、まさにこの曲の象徴だったのだと思います。

Altessimoは2人の世界が強過ぎるあまり、Pやファンは彼らの世界にいらないのではないかとずっと思っていました。事実、Sanctuary Worldは徹頭徹尾麗さんのことを歌っています。
しかし、今回聞いて、違うな、と思いました。

あらゆる機微  押し寄せる思い
もう一度今  届けてみようか

誰に届けるのか。世界、そしてファンに。
どうしてそう思えたのか。麗さんと出会いAltessimoになったから、そしてアイドルを選んだから。
貴方をアイドルにすることに悩んだ日もありました。でも、アイドルになって彼は違う世界を見つけた。本当に本当に、心底嬉しかった。

ラスサビ前に、土岐さんは「フィナーレだ」という台詞を織り込みました。ラスボスみたいで格好良かったです。
多分都築なので、音楽要素としてのフィナーレ(最終章)という意味だと思うのですが、そのフィナーレのあとに「Rebirth my world」という歌詞がきました。まるで最終章のタイトルのように聞こえて、ああ、ここからまた始まるのだな……と感じました。
ここからまた、都築の世界は、物語は始まっていくのだと思います。




長々書きましたが、都築のポテンシャルはまだまだこんなものではないと思います。もっとダークな歌やラブソングも歌ってほしい、沢山演技もしてほしい。欲はつきません。
マイペースでパートナーにお世話してもらって、「何やってるんだしっかりしろ!」と言ってしまうプロデューサーですが、都築が世界一のアイドルだというのは知っています。315プロダクションのアイドルはみんな大好きですが、それでもやっぱり、一番は担当です。(担当が複数いるのであれですが)

貴方の担当で私は本当に幸せです。ありがとうございます。これからもPoco a Poco、いやandanteぐらいにはしたいですが、一緒のテンポで頑張りましょう。